地学部3年間の思い出
Written by y.sakoda the planning department leader. 
                      迫田元企画課長著

                              10/31 ,2004〜1/14 ,2005

月日が流れるのは速いもので、高校生活3年目の冬が来た。しかしまぁ何故この部で私は3年間を(2年半だが)過ごしたのか?単に変な人だった?いやいや、いたってフツーの人でした。でもこうして改めて考えると・・・、なんでかなぁ・・・。


高校に入りたての私は色々と思いを巡らせていた。そのせいか頭痛に悩まされ・・・。全然仮入部に行かなかった。そんな中ふと行こうと思ったのが地学部。・・・なんで?・・・実は、写真が撮りたかった。(当時の写真部は廃れていた)それだけだった。このとき初めて会ったのが、U部長。彼の巧妙な口車に見事に乗せられ、入部を決意したのだった。(決意と言うのだろうか?)
本入部の日、部室(地学室)には、自分を加えて4人の1年生がいた。最初はみんな無口で・・・。そう、新入生歓迎合宿(以下新歓)のときまで、ほとんど話さなかったのである。新歓以来我々第35期地学部員はトーク量が徐々に増えていったのだ。なにも初めからトークが好きだった訳じゃないんです。しかし1年生が行うこと。とにかく多い。望遠鏡の組み立て、気象通報、その他諸々・・・。とっても大変。そんなこんなで、新歓を迎えるのである。

新歓は私一人が、本川越から新秋津まで、他の人達は、北朝霞からJRで行くことになった。(秋津で乗り換え)こういうとき川越市民は有利だ。(単にJR分遠回りしたくなかった。一種のケチである)
当日は、グランドラインだったが(グランドラインが何か分かっていたのは私だけだった。ちなみに某漫画にその名前が使われていた気が・・・)雲が結構出ていて、写真を撮るのには絶好の日なのにと思いつつ、薄暗い中で夕食を食べた。ふと西の空をみると、いつのまにか晴れている。あたりはすっかり暗くなっていて、望遠鏡を組むには不適(少なからず小さい部品があるため)と判断。カメラだけ用意し、固定撮影を試みた。けど、又曇ってきたのだ。なんで?しかたなくテントに引っ込むことに。結局時間だけが流れて、翌日の朝、予定通り帰ることになったのでした。

新歓の後はひっっっっったすら基礎を叩き込まれ、8月の本合宿に突入するのです。が、同期の(この書き方は変かも)O君は、時々逃げ出すようになった。大丈夫なのでしょうか?

本合宿、私はなぜか企画補佐として(私がそう思いこんでるだけかも)なんとなーく計画を立てさせられた。この時点で私の将来が決まったようなものだ。合宿当日のことを、くわしく書いているととんでもないことになるので、手短に・・・なるかなぁ。もちろん行き先は妙高だ。だが、この部には珍しく、三連チャンで晴れたことは特筆に値する。ちなみに、妙高は天気が悪いことが多いのだ。その点から考えてもなんとラッキーなんだろう。という感じでした。すごく手短になりましたネ。しかし、信越本線が分断されたり、ほくほく線(北越急行)が、第三セクターだったりで遠回りなんだなぁ。なんとかならんものか。

合宿の後は文化祭。毎年故障ばかりなので、書くことはほとんどない。私たちはドーム作成の傍らで、自由研究を行った程度でしょうか。文化祭の後は、校内星見会の計画を立てただけです。

校内星見会は、当時の2年生に一切を任せ、なにをどうやるのか学ぶだけ・・・当日は観てるだけだった。朝高に入学した人の中には、天文台に関心があって来ているのに、それを見ることなく卒業する人、信じられないほど多いようです。かわいそうにとしか言いようがないのですが。しょうがないですね。地学部に入らないし、こういうイベントも逃すし。バカにしているわけではないのですが、同情しきれないんです。

3月には化石採集に行った。O君が行きたがっていたので、春休みとなってしまったが、私が彼の意向を聞いて、計画、実行したものだった。鮫の歯が出るといって、張り切って行ったのだが、採れたのは草木と貝の化石だけだった。少々残念だったが、皆さんだいぶ楽しんだようである。よかったよかった。


我々が2年生のときは、残念ながらほとんどなにもしなかった。えっっ、1年の指導はどうしたの?と言われても、当時の地学部のシステムに問題があり(それだけではないのだが)顔を出すことすらしてくれなかった。まともにやったのは夏合宿と文化祭、校内星見会に化石採集。後者2つはSさんが来て下さった。夏合宿にはOさんとSさんが来たのだが、残念なことに曇られてしまった。尚、この二人は(正確に言うと「も」である)平常活動には、数えるほどしか来ていない。

この年の文化祭終了後、3年生の引退とともに、新役員の発表があった。(毎年の通りだけど)このときに私は正式に企画課長として就任するのだ。(当時は合宿部長。その後、「合宿だけじゃ」ということになり、企画部長。勝手に分離独立して企画課長となった)

この年のビッグニュースというと、顧問の交代であろう。これまでは四元先生だったが、今度から山口先生になったのだ。地学部の再建が懸かっている重要なときに、よく来て下さった。このようなときに顧問の交代というのは、結構大変なのだが、顧問が代わるし、この際だから、いっそのこと色々と変えてしまおうと考えた。(1年生は来ないし、なんとかなるだろうと考えたのだ)が、さほど変わったことはないのである。変だなぁ。

上記の顧問の交代は、年度の変わり目に当たるので、普通は「我々が3年になった」時点で書くのだろうが、「2年の終わり」に起きたこととして書かせて頂いた。なんだか変ではあるけれど・・・。


3年になり、4人の1年生が入ってきた。最初にやるのはやっぱり新歓。4人とも来てくれてよかったー。このときは、月をみたり、あれは何座だよとか、ニート彗星はしょぼいなーとか。曇ってきたからトランプを5時間やって、結局徹夜した。なにをしにきたのだろう。まぁ、部員同士の友好会も兼ねているので、構わないのだが。(詳細は「企画課長のぼやき」参照)

夏合宿はみんな今まで以上に張り切っていた。様々な計画案を見せては、あれはこうしろ、これはああしろと口々に言う。なっ、何が起こったんだ?最終的に朝早く出て、向こうに早く着こうということになった。(詳細は「企画課長のぼやき Part 2」参照)

文化祭も終わり、(都合により2日目が出られなかったため省略)新役員も決まった。このときから、週3日半強制参加制となった。(だが、フリーの人が出ていないので、これで何が変わったということはないのだが)
また、この年に大きく変わった点として、校内星見会の回数の増加がある。昨年度までは冬期に1回だけだったが、今年度からは、12月、1月、2月の、計3回となった。12月分は20名くらいの人が来てくれて、本校の天文台で実際に月を観た。(天文台を見てくれた方も少なからずいた)なかには、ケータイで写真を撮ろうと、必死になっていた人も・・・。残念だが、ケータイのカメラでは、解像度などたかが知れている。最近のは結構高性能だが、やはりデジカメと比べると・・・。まぁ、来てくれたみなさん、けっこう楽しんで頂いた様子です。


私が過ごした朝高地学部は、こんな波瀾万丈の2年半でした。悲しいし、なんだか心配なのですが、お別れなんだよなぁ、この部と。まぁ、しょうがないんですけど。このページを見ている皆様、私のとんでもなくくだらない愚痴に付き合って頂き、ありがとうございました。
                                         迫田 祥英
 

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